2026年6月9日火曜日

【この雫が、涙だとしたら】9日(火)


雨上がり。

今日は世田谷区から。
最近は、雫(しずく)の写真にハマっています。

先日の大阪水無瀬にて、花びらに乗った雨の雫が、涙に感じられたことがきっかけです。

あれから雫を見るたびに、「これが涙だとしたら…、何の涙か?」と問いかけてみるようになりました。

大きな葉っぱの上に落ちて乗った葉っぱ。その上にまた落ちて乗った雨の雫。

ここに映る雨の雫が、仮に涙だとしたなら―、どんな涙に感じられますか?


ところで「涙」って、いったい何なのでしょうか?

角膜を乾燥から守るため?
ゴミを洗い流すため?
ストレスを緩和するため?

と、判断したのは現代までの人類であり、本当はまだ解明されていない、もっと違う何かが、ある可能性はありますよね。


笑っても泣いても、嬉しくても悲しくても悔しくても眠たくても涙は出ます。

時折、稽古会の実習中を終えると、涙が流れていることがあります。相手の背中に手を当てて、深い集注に入り、終えた際に流れている涙に気がつく。

特に悲しくもないし、深い感動もない時に、無感情で流れている。けれどもなぜか、心地よい。

何なのでしょうかね。勝手に流れるこの涙は。


大田区、田園調布駅前。
ツルたちが何だか嬉しそう。

おそらくこちらは、「コメツブツメクサ」。

左と右の写真の比較で言うと、左はいつも通り、目玉がキョロキョロできる。右はぼんやり見てしまう。

左は写真を見ながら首が自在に動く。右はなぜだか、うなずく方向へ首が動いてしまう気がする。無理やり上へ向こうとするとつらくなる。

露天風呂に入浴する新芽さん。

首や視線の動きで言うと、左の写真は何の動きも伝わってこず。右の写真は、右下に流れていくような感じが私は出てきますが、みなさんはいかがでしょうか?

レンガの崖を、アリさんが懸命に登っていました。獲物を独りで引きずり上げながら。

こちらの右の写真だと、視線や首は、上方向へ導かれていくような感じが出てきます。反対に、うなずく方向へ行こうとすると、ちょっとつらくなってくる感じが私にはします。

雨の白露、いいですね。葉っぱの種類によって、雫の染み方も様々。

こちらはポロっとこぼれた涙ですね。

視線や首に伝わる動きで言えば、こちらの右の写真は、反時計回りな感じがします。時計回りに見ようとすると苦しくなるような感じです。
 
こちらに映る雫は、涙というより汗っぽい感じがしてきます。

汗というのも、感情の揺れでも流れ出る、不思議な液体ですよね。

ただ、こちらの写真に映る「汗」は、あんまり緊張感なさそうな、「やーねぇもう、こう毎日暑くって」みたいな汗の雫に感じられました。


横浜市。片倉稽古場付近。

右の写真、中央下部の、影に隠れた葉っぱの雫。こちらの涙は、絶望のさなかで希望の光に出逢えたような、そんな印象を私は受けます。

左の写真では、同じ葉っぱに乗っている雫を見ても、こちらは「ただの水」な印象です。

落ちているタバコの箱を見ると、ふと妙心寺の稽古会を思い出します。


京都。花園稽古場に帰ってくると、茜色の空が拡がっていました。


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「悲しい時」

泣くこと。
涙を出しても良い。
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野口晴哉 著『風声明語』(全生社)より
 
 
 
 

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