今日は京都から東京への旅路にて、撮影動法稽古です
いつものように、左が撮りたいように「撮った写真」
右が、瞑目したまま動法によって「撮らされた写真」です
建物の影で、ひなたとひかげの境界線になっているところ
青空のキャンバスに、白い筆で、気持ちよく線を引っぱったような
花園駅のホーム
心の目で、雲の向こうに富士山を見通す
ほら、あの雲のラインは、まるでテーブルクロスを掛けた富士山じゃないですか?
右の写真
普段なら完全ボツ写真の構図ですが、「何を撮らされたんだろう?」と眺めていると、電柱の切っ先が、曇天に突き刺さる天使の弓矢のように見えてきます
晴天の前ぶれでしょうか?
青空を映す田んぼは、部屋のガラス窓と似ているように感じました
モチノキの根っこから、個性の異なる兄弟が、スッと仲良く立ち並んでいました
私が去ったあと、一人の女性が「何があるんだろう?」と不思議そうにこの場をのぞき込んでいました。私の感じた面白さに、果たして気づいてもらえたでしょうか?
光を透過した葉っぱのまだら模様、いいですね
ベンチの下に見つけたクローバーが、たとえ三つ葉であっても、見つけた私が、幸運のサインだと認めればこれは、幸運のクローバーです
人から違うと言われても、「残念!実はオモチャの造りモノでした~」と教えられても、私の心に灯った温かさは消えません。
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「ひとり言」
春になると何故、花がこのように美しく、晴れ晴れと咲くのだろうか。
冬になると真白い雪で、何故この地が清められるのだろうか。
寒いからである、暖かいからである、と答える人もあるが、それだけではこれらが美しく、清らかな理由にはならない。
すべては心にある。
雲の悠々しているのでも、心にあるのである。
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野口晴哉 著『風声明語』(全生社)より
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用事がいろいろあって、また東京に来たわけですが、今日、この景色に出会うために、「ベンチの下のクローバーに出逢うためにここに来ました」と、そう思えるような―、佳い、稽古の一日でした


























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