2026年7月30日木曜日

【回り稽古報告④】御室回の稽古日誌より

 

第三回 『詩の現れ』7月5日(日)御室稽古場

担当講師:野口順哉


回り稽古」受講生の稽古日誌。今回は、第三回の稽古会を終えてから、一週間以内に書いていただいた受講生の言葉です。

何だかよくわからない言葉の数々を、よくわからないままどうぞ、ご堪能ください。




⑥今日のタイトル『詩の現れ』に、さらに副題をつけるとしたら、どのような言葉が浮かびますか?

「間にあるリズム」

「呼び水」

「自由」

「大きな何かを感じとる」

「『隠す』からあらわれる『全体』性と『局所』性」

「わからなくって 面白い」「わからないまま 面白い」




⑤晴風学舎の活動内容を知らない第三者に、「今日は何をしてきたの?」と問われたら何と説明しますか?

「自分の枠を広げる為の稽古」

「大きな視点から 又はつい身近な手元から 決まり切った方法ではなく 自由に愉しく 他者と自らを観て来ました」

「雨の音に触れてきた.」

「雨音と鳥のさえずりに紛れ隠れてハナ詩(ウタ)混じりに遊んだよ~」

「『目』があるから『見える』のでなく『見える』のうちに『目』もあるという逆張り発想を知った。」

「言葉の境界線. 身体の境界線は自然にゆらぐ」

「どこかを『隠す』・『隠れる』と全体が出てくる」


④今日の稽古場の印象を教えてください

「自然と共にある稽古場 雨の音・鳥の声が心地良かった」

「梅雨の雨にしっかり濡れた緑陰を常に目にすることができる。わたしには非日常の空間にいられてうれしかった。」

「昔、操法で立ち入った場とは印象が異なり年輪の増した風情・葦簀に被われたお稽古の場 年月が過ぎ行く光と影。」
「今は、楽しくもあり この場に居られる事を幸福にも 感じました」

「いつもの御室稽古場とは全く別の場で始まった。先生のお話が進むにつれ、場が変化し、深い集注に支えられた静かな深い場に変化していった」

「雨も似合うナァ~. 水と土と草の匂いに 包まれてやすらぐ」

「いつもの稽古場の集注感 場が作っているのか 先生が作っているのか 自分がその場になじむ集注感をつくっているのか」

「静かな印象 雨がふっていたのに.」




③前回までの稽古で経験したことが、今日の稽古に影響した(させた)ことがあれば教えてください

「自分の身体が 他者との関係性により、私の意図とは無関係に勝手に動くこと。」

「『一生懸命…捜す。』集注する。ではなくて 現われるものを待つ。赤ちゃんが『すやすや眠れるように』手を当てる 必死で投影するのではなく 身体の中に現われるのを待つ」

「かくれると思い込んでいた経験がもっといろんなかくれるがある事に気付きました.」

「第一回目の稽古での”かくれる”というキーワードがまた出て来て、”かくれる” の意味が自分の中で広がった」

「掃除をしない経験から 掃除をする経験へ.」

「『はい、わかりました』が早合点にならないように様子を観ようと思っていたこと」
「『わからなくって面白い』という、図らずも相反するような副題を付けてしまったことに気づいて、なかなか面白いことになってきたなと思いました」


①今日の稽古で、メモを読み返さなくてもパッと思い出せる講義や実習は何ですか?

「手の角度、触れ方を変えて かくれる位置をさがす」「『かくす』と『さえぎる』」「触れるリズム、演奏」「ワラを投げる」

「隠す観点の内観によるみつけ方. まぶしい所を『さえぎる』ように触れる」

「50数年ぶりに国語の授業を受けた感じで 名詞と動詞に対するユニークな見方。」
「側腹の観点を思うことで起こること」
「愉氣と藁」

「沈ミ窪ミ頬ミの音と ダン先生の批評 言語化することで生まれる支流というフレーズ リズムー息・拍子・節・調子・間もよく使う」

「身体の外側からと内側の両方から、かくす観点をみつける事. 又、双観で受手がかくす観点をみつけると仕手は自然に身体にかくす観点が出て、そこから自然に投影されそこが現れる所にもう一方の手をおくと、全体を感じとれる」 

「隠す脇の穴、先づ外側から面で 内側から面で 待っているとボンヤリ出てくる。という脇の穴の捜し方。」
「今日のお題『詩の現われ』についてのご説明」
「私が質問した自分の膝の痛みについて『不良な膝を育てる』『治す』とこを目標とするのではなく 現象を利用する。経過を楽しみにつき合う」

「型をとる ①→②→③ ①→③ ③をつくるために②をとばしてはいけない 生じてくる何かをつかむ」




⑦その他、雑感等あれば教えてください

「最後の質問コーナーで皆さんのいろんな考えが聞けた事、又、先生がとても丁寧に熱く語って答えて下さった事が一番の収穫でした. いつも通っている稽古場が全く違う別の稽古場になっていました.」

「実習中に自分が耳なし芳一になったかのように耳に入ってくる雨音、鳥のさえずりだけに集注が向いて躰が透明になったような感覚を覚えた直後に順哉先生が音(聴覚)に意識が向いたという話をされたので驚きました。」

「『晴風学舎は……』考えて来ました。貴方が『良い処と思った』処に手を置く。良いと感じた、つまり、自分にとって 自分が そう思った所で良いのだ。そうなのだ。」
「山中さんが最後に一人ずつ促して頂け 私も順哉先生に質問でき感謝。」

「順哉氏とお会いするのは晴風学舎設立説明会が初めてで、今回が二回目。実演の時はメガネをはずされる。メガネの有無でこんなにも印象が異なるかと驚いた。メガネなしのお顔は野口晴哉氏(写真で見ただけですが)の面影があってうれしくなりました。」

「雨が印象に残っていますが、思い出してみると、湿ったところと乾いたところがあるように思います.」
「リズム、演奏、セッション、その場で立ちあらわれる何かは、そもそもその場にある何かでもあるような気がします.」

「愉氣は、かなり奥深いし内観を使いやすいと思うが割り稽古の型や手順を覚えるのが難しい」

「場所は即興、リズムは再現可能」
「隠れる…静けさが大きくなってくる.」
「さえぎる…主客の逆転、受動・能動の反転」




②今日の稽古で生じてきた「新たな謎」はありますか?

「一本のワラの投げ入れ方?」
「漠たるものがある?」

「藁に相当する何かとは、それは瞬時に起こるのか、あるいは長い時間かけて起こるのだろうか。」

「”生じてくる” その動きが出てくる瞬間をとらえる ”生じた場所”は? 定ったところは ”実” なのか?」

「言葉のズレと重なり 『謎』というか面白い」

「私は どうするべきか? 明るく 愉しく 自らを大切に生きたい。そうすれば人も大切に出来るから」

「『かくす』が『かくされるもの』と『かくすもの』又は『さえぎるもの』との関係で生じるのか、木の葉を 森の中に『かくす』ような全体として『かくれてしまう』ことはあるのか?」




その日の稽古に立ち会っていた私でさえ、日誌を読みながら「これはどういうことだろう?」と不思議に感じるような、受講生たちの紡ぎ出す言葉の切片―。

それでも、書き手の思いとはかけ離れたところで、読み手の過去の体験と繋がる瞬間がふと訪れて―、何かを呼び覚ましてくれるような―、私自身もここに言葉を打ち込みながら、そんな響き合いの心地よさを感じていました。

図らずも、別の人の言葉を並べることで生じてくるものや、並べ替えることで見えてくるものがあり、編集作業の面白さを体験させていただきました。

きっと受講生自身も、時間を経て読み直すと、全く違ったように感じられるでしょうし、ご自身の言葉が、他の受講生の言葉と共に並べられることで、まるで自分の言葉でないような、新鮮な気持ちで読み直すことができるのではないかと思いました。


十月から始まる『第二回 晴風回り稽古』の申込みが始まっています。先日まで未定だった講師も全五名確定しました。締切は8月26日、どうぞご応募ください。







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