【野口晴哉 語録】


過去の記事でご紹介させていただいた野口晴哉先生の語録集です。すべて全生社の書籍より引用しています。


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まず自分から動くことだ。自分から出発することだ。

しかしその意欲も、背骨が弱いと生じない。
脊髄へ息を通すと自発的に動きだし、世界は為に一新する。

この世にどんなことが起ころうと、どんな時にもいつも、楽々悠々息しつづけよう。

そしてこの心ができた瞬間から、小鳥は楽しくさえずり、花は嬉しそうに咲き、風は爽やかに吹き過ぎる。

雪は白く、空は蒼い。
黒い雲の向こうはいつも蒼い。

世界が変わったのではない。自分が変わったのである。
自分が変われば世界は変わる。
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(野口晴哉著『風声明語』全生社より)


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『背骨で息する』

だるいとき、疲れたとき、身体に異常感があるとき、心が不安定なとき、静かに背骨で息をする。腰まで吸い込んで、吐く方はただ吐く、特別に意識しない。

この背骨で息することを、五回繰り返せば心機一転、身体整然とすることが、直ちに判るであろう。

背骨で呼吸するといっても、捉えどころがないという人が多いが、捉えた人は、みんな活き活きしてくる。顔が全く異なってくる。

なぜだろう。平素バラバラになっている心が一つになるからかもしれない。生理的な働きが広まるからかもしれない。

ともかく、人間はこういう訳の判らぬことを、一日のうちに何秒間か行なう必要がある。頭で判ろうとしてつとめ、判ってから判ったことだけ行なうということだけでは、いけないものがある。

心が静かになったとき、自分の心に聞いてみるがよい。広い天体のうちの一塵である地球の上の人間が、判ったことだけやろうとしているその寂しさが判るであろう。

疲れたまま眠るより、乱れたまま心を抑えるより、まず背骨で息をしよう。その後でどうなるか、そういうことを考えないでやることが脊髄行気の方法である。
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(野口晴哉著『風声明語2』全生社より)


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裡に為さんと欲したら、直ちに為せ。
成否のために為すな。
裡の要求によりて為せ。
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(野口晴哉著『風声明語2』全生社より)


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生きることの価値は、生きることそのものだ。
生きることの目的は、生きることそのものだ。

いま生きている、その生きつつあることそのものが、生きている意義の全部だ。

生きるためのいろいろの目的は、所詮、人間が造ったものに他ならない。

溌剌と生きることは、人間のもっとも自然の状態だ。
これ以外に、人間の生きている目的はない。
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野口晴哉 著『風声明語2』(全生社)より


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この世に喜びあり、悲しさあり、怒りあり、楽しさあるは、面白きことなり。

今泣いて、すぐ喜ぶことあり。苦しめることが、そのまま楽しみとなることあり。遠足途中の辛きことなど、この例なり。

苦しむに苦しまざれば、心いつまでも和やかにならず。泣くだけ泣かねば笑うことできず。

これらのめぐりめぐるうちに、人世あり。

怒り来らば怒り。悲しみあらば悲しみ。そのめぐるもの、めぐるが如くめぐらして、息乱すこと無きは、全生の人なり。
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野口晴哉 著『全生道(偶感集)』(全生社)より


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健康とは、安全無事な肉塊をいうのではない。

常に裡(うち)から、活き活きした力を産み出してやまない、そのはたらきこそ健康というのだ。

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異常を除いて、正常であろうと考えている養生人は多いが、問題は異常ではない。

問題は、異常の中に正常を保っている体のはたらきである。

それがどのようにはたらいているのか、それを確かめることに、養生の道がある。
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野口晴哉 著『風声明語2』『風声明語』(全生社)より


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感ずる者の心には、感じない者の見る死んだ石でも、お月さまとして映る。

太陽も花も自分も、一つの息に生きている。
道端の石も匂い、鳥も唱っている。
感ずることによって在る世界は、いつも活き活き生きている。

見えないものも見える。動けないものも動いている。
そしてみんな元気だ。空には音楽が満ちている。
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野口晴哉 著『大絃小絃』(全生社)より


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形の美しさを見ているより、その動く美しさを感じるようになったことは進歩だ。裡(うち)にある美しさを感じることができるようになることは、更に進歩したのだ。

こうして美しさがだんだん開拓されて、この世の中が真に美しかったことに気づくようになるまで、人間の心を拓かねばならぬ。

それゆえ、人間はまだまだ開拓の余地がある、進歩の余地もある。
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野口晴哉 著『風声明語2』(全生社)より
 

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『嫌いなこと十題』

無知、厚化粧、当てつけ、見せつけ、むき出し、色眼鏡、間延び、押しつけ、借り着、ざあます。

嫌いなことの筆頭は無知。無知の中でも、正直を振り廻されるのにはたまらない。

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当てつけ、見せつけを好く人はいまいが、見せつけの中でも弱さを見せつけられることは一番嫌だ。弱さを権利のつもりで振り廻し、同情の義務を強いんとするのは日本人の悪い癖だ。

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色眼鏡からのぞいた正論らしきものを、とうとうとまくしたてられることほど始末の悪いことはない。しかも、その論拠が借り着の場合などは、「そのご意見は先月の『音楽の友』に出ておりましたな」とむき出しに言うより予防法はなさそうだ。

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人は押しつけをやりたがる。その中でも親切の押しつけほど、厭味(いやみ)なものはない。正直な人が、一生懸命親切を押しつけるときほど困ることはない。無知の代表的行為だ。
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野口晴哉 著『偶感集』(全生社)より


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丈夫な子供たちは、一心に積み木をして遊んでいる。積んでは壊し、壊しては積む。彼らにはその行為そのものが楽しいのだ。

大人が近づく。上手に積んだことを褒める。

子供たちはその時から上手に積むことに興味をもち、褒められる為に積むようになる。自分の為したことを自分で楽しむことができなくなり、大人の目に上手に映るように積む。

子供の楽しみを、大人が奪ったのだ。
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野口晴哉 著『風声明語2』(全生社)より


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「ひとり言」

春になると何故、花がこのように美しく、晴れ晴れと咲くのだろうか。

冬になると真白い雪で、何故この地が清められるのだろうか。

寒いからである、暖かいからである、と答える人もあるが、それだけではこれらが美しく、清らかな理由にはならない。

すべては心にある。

雲の悠々しているのでも、心にあるのである。
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野口晴哉 著『風声明語』(全生社)より





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