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2026年7月30日木曜日

【回り稽古報告④】御室回の稽古日誌より

 

第三回 『詩の現れ』7月5日(日)御室稽古場

担当講師:野口順哉


「回り稽古」受講生の稽古日誌。今回は、第三回の稽古会を終えてから、一週間以内に書いていただいた受講生の言葉です。

何だかよくわからない言葉の数々を、よくわからないままどうぞ、ご堪能ください。




⑥今日のタイトル『詩の現れ』に、さらに副題をつけるとしたら、どのような言葉が浮かびますか?

「間にあるリズム」

「呼び水」

「自由」

「大きな何かを感じとる」

「『隠す』からあらわれる『全体』性と『局所』性」

「わからなくって 面白い」「わからないまま 面白い」




⑤晴風学舎の活動内容を知らない第三者に、「今日は何をしてきたの?」と問われたら何と説明しますか?

「自分の枠を広げる為の稽古」

「大きな視点から 又はつい身近な手元から 決まり切った方法ではなく 自由に愉しく 他者と自らを観て来ました」

「雨の音に触れてきた.」

「雨音と鳥のさえずりに紛れ隠れてハナ詩(ウタ)混じりに遊んだよ~」

「『目』があるから『見える』のでなく『見える』のうちに『目』もあるという逆張り発想を知った。」

「言葉の境界線. 身体の境界線は自然にゆらぐ」

「どこかを『隠す』・『隠れる』と全体が出てくる」


④今日の稽古場の印象を教えてください

「自然と共にある稽古場 雨の音・鳥の声が心地良かった」

「梅雨の雨にしっかり濡れた緑陰を常に目にすることができる。わたしには非日常の空間にいられてうれしかった。」

「昔、操法で立ち入った場とは印象が異なり年輪の増した風情・葦簀に被われたお稽古の場 年月が過ぎ行く光と影。」
「今は、楽しくもあり この場に居られる事を幸福にも 感じました」

「いつもの御室稽古場とは全く別の場で始まった。先生のお話が進むにつれ、場が変化し、深い集注に支えられた静かな深い場に変化していった」

「雨も似合うナァ~. 水と土と草の匂いに 包まれてやすらぐ」

「いつもの稽古場の集注感 場が作っているのか 先生が作っているのか 自分がその場になじむ集注感をつくっているのか」

「静かな印象 雨がふっていたのに.」




③前回までの稽古で経験したことが、今日の稽古に影響した(させた)ことがあれば教えてください

「自分の身体が 他者との関係性により、私の意図とは無関係に勝手に動くこと。」

「『一生懸命…捜す。』集注する。ではなくて 現われるものを待つ。赤ちゃんが『すやすや眠れるように』手を当てる 必死で投影するのではなく 身体の中に現われるのを待つ」

「かくれると思い込んでいた経験がもっといろんなかくれるがある事に気付きました.」

「第一回目の稽古での”かくれる”というキーワードがまた出て来て、”かくれる” の意味が自分の中で広がった」

「掃除をしない経験から 掃除をする経験へ.」

「『はい、わかりました』が早合点にならないように様子を観ようと思っていたこと」
「『わからなくって面白い』という、図らずも相反するような副題を付けてしまったことに気づいて、なかなか面白いことになってきたなと思いました」


①今日の稽古で、メモを読み返さなくてもパッと思い出せる講義や実習は何ですか?

「手の角度、触れ方を変えて かくれる位置をさがす」「『かくす』と『さえぎる』」「触れるリズム、演奏」「ワラを投げる」

「隠す観点の内観によるみつけ方. まぶしい所を『さえぎる』ように触れる」

「50数年ぶりに国語の授業を受けた感じで 名詞と動詞に対するユニークな見方。」
「側腹の観点を思うことで起こること」
「愉氣と藁」

「沈ミ窪ミ頬ミの音と ダン先生の批評 言語化することで生まれる支流というフレーズ リズムー息・拍子・節・調子・間もよく使う」

「身体の外側からと内側の両方から、かくす観点をみつける事. 又、双観で受手がかくす観点をみつけると仕手は自然に身体にかくす観点が出て、そこから自然に投影されそこが現れる所にもう一方の手をおくと、全体を感じとれる」 

「隠す脇の穴、先づ外側から面で 内側から面で 待っているとボンヤリ出てくる。という脇の穴の捜し方。」
「今日のお題『詩の現われ』についてのご説明」
「私が質問した自分の膝の痛みについて『不良な膝を育てる』『治す』とこを目標とするのではなく 現象を利用する。経過を楽しみにつき合う」

「型をとる ①→②→③ ①→③ ③をつくるために②をとばしてはいけない 生じてくる何かをつかむ」




⑦その他、雑感等あれば教えてください

「最後の質問コーナーで皆さんのいろんな考えが聞けた事、又、先生がとても丁寧に熱く語って答えて下さった事が一番の収穫でした. いつも通っている稽古場が全く違う別の稽古場になっていました.」

「実習中に自分が耳なし芳一になったかのように耳に入ってくる雨音、鳥のさえずりだけに集注が向いて躰が透明になったような感覚を覚えた直後に順哉先生が音(聴覚)に意識が向いたという話をされたので驚きました。」

「『晴風学舎は……』考えて来ました。貴方が『良い処と思った』処に手を置く。良いと感じた、つまり、自分にとって 自分が そう思った所で良いのだ。そうなのだ。」
「山中さんが最後に一人ずつ促して頂け 私も順哉先生に質問でき感謝。」

「順哉氏とお会いするのは晴風学舎設立説明会が初めてで、今回が二回目。実演の時はメガネをはずされる。メガネの有無でこんなにも印象が異なるかと驚いた。メガネなしのお顔は野口晴哉氏(写真で見ただけですが)の面影があってうれしくなりました。」

「雨が印象に残っていますが、思い出してみると、湿ったところと乾いたところがあるように思います.」
「リズム、演奏、セッション、その場で立ちあらわれる何かは、そもそもその場にある何かでもあるような気がします.」

「愉氣は、かなり奥深いし内観を使いやすいと思うが割り稽古の型や手順を覚えるのが難しい」

「場所は即興、リズムは再現可能」
「隠れる…静けさが大きくなってくる.」
「さえぎる…主客の逆転、受動・能動の反転」




②今日の稽古で生じてきた「新たな謎」はありますか?

「一本のワラの投げ入れ方?」
「漠たるものがある?」

「藁に相当する何かとは、それは瞬時に起こるのか、あるいは長い時間かけて起こるのだろうか。」

「”生じてくる” その動きが出てくる瞬間をとらえる ”生じた場所”は? 定ったところは ”実” なのか?」

「言葉のズレと重なり 『謎』というか面白い」

「私は どうするべきか? 明るく 愉しく 自らを大切に生きたい。そうすれば人も大切に出来るから」

「『かくす』が『かくされるもの』と『かくすもの』又は『さえぎるもの』との関係で生じるのか、木の葉を 森の中に『かくす』ような全体として『かくれてしまう』ことはあるのか?」




その日の稽古に立ち会っていた私でさえ、日誌を読みながら「これはどういうことだろう?」と不思議に感じるような、受講生たちの紡ぎ出す言葉の切片―。

それでも、書き手の思いとはかけ離れたところで、読み手の過去の体験と繋がる瞬間がふと訪れて―、何かを呼び覚ましてくれるような―、私自身もここに言葉を打ち込みながら、そんな響き合いの心地よさを感じていました。

図らずも、別の人の言葉を並べることで生じてくるものや、並べ替えることで見えてくるものがあり、編集作業の面白さを体験させていただきました。

きっと受講生自身も、時間を経て読み直すと、全く違ったように感じられるでしょうし、ご自身の言葉が、他の受講生の言葉と共に並べられることで、まるで自分の言葉でないような、新鮮な気持ちで読み直すことができるのではないかと思いました。


十月から始まる『第二回 晴風回り稽古』の申込みが始まっています。先日まで未定だった講師も全五名確定しました。締切は8月26日、どうぞご応募ください。







2026年7月14日火曜日

【回り稽古報告③】等持院回の稽古日誌より


第二回 『付ける』6月28日(日)等持院稽古場

担当講師:角南和宏


「回り稽古」受講生の皆さまに書いていただいている稽古日誌。今回は、第二回の稽古会を振り返って生じてきた、受講生の言葉たちです。


⑤晴風学舎の活動内容を知らない第三者に、「今日は何をしてきたの?」と問われたら何と説明しますか?

「人との関係性の取り方」

「自ら最っとも楽しい事をすると周囲も楽しいという経験。人との繋がりは、どちらからかを考えつつ、他者の内面を思いつつ繋がると 大きな動きとなる」

「体の動きの感覚がもっと繊細になる稽古をした。」

「背中の感覚を拡げて呼吸を楽にする稽古」

「しりとりや連句のように身体にも連ねていくことで生まれる新しい感覚がある」

「晴風の稽古をしてきた.」


③前回までの稽古で経験したことが、今日の稽古に影響した(させた)ことがあれば教えてください

「座の取り方」

「前回 親指に気を送くるのは色々な角度・方向からと. 今回も自分の身体の中を見るのは 色々見てゆくのかなと思いつつ」

「自分と他とのつながりと その方向性を思い浮かべること.」

「お稽古のネタはどこにでもある」

「窓から見える風景が違っていた.」


④今日の稽古場の印象を教えてください

「涼やかな風の通り抜ける素敵な稽古場でした.」

「町家ではない、昭和レトロを感じる日本家屋で心が安らぐ場でした。」

「四角い空間におさまっていく. 静かでひかえめな光」

「狭いと言われたが 全く空間の狭さを感じなかった。身体の中を見ていると そこも小さな世界と思えず。御簾を通して 自由に空気が行き来してお花がお軸で想像する心落ち着く世界」

「最初は四畳半に九人は狭いなと思ったが、日々の稽古で鍛えられているだけあって、集注の深まり方がすごくよかった」

「俳句を題材にして お茶室の空間で整体のおけいこ、和を味わえたな、と思いました」


①今日の稽古で、メモを読み返さなくてもパッと思い出せる講義や実習は何ですか?

「しりとり」
「相手の背中と自分の背中を同時に感じられる処に坐る」

「どこからか伝わってきたものを動力として動く」

「自分の中の動きをひろってその動きにのって手が置かれるところに置くときに 置いてからも動いているから その動きにのって最終的にここに、というところを見つけるまでの道のりが心地よかった」

「抹茶茶碗を持った時の身体」
「最初に触れた手とはちがう手で 触れて 転じる 展じる体.」

「連歌 発句に付ける 時制と言葉」
「随伴(?)行気… 三人一列に正座して手を前の人に当てる」
「腰椎内観に混乱」

「しりとり →→ べたな触り方
連句 ← → 発句(切字 )べたでない触り方
発句が先きか連句が先か?」
「人を見て、吸い込んで、自らの中に動きを見い出す.」
「自分の身体の中を見る時少し待って 色々な先に出てくるものをやり過ごす(静かな待ち) すると次 現れる物を見い出して それを使う。その動きに乗る。」


②今日の稽古で生じてきた「新たな謎」はありますか?

「右手で触れてから左手で触れる.」
「左手で触れてから右手で触れる.」
「転じる集注の違いはあるのか?」

「腰椎の集注を使って転じるという所がよくわからないです.」

「集注はおもしろい。でもがんばって集注の世界に入いるというのとは少し違うのかな……?」
「自然に見い出す『そこにあるから…?』」

「触れて 行気をして 全身に動きが広がる」

「愉気の解釈」
「三人一列の行気(?)の中に現れる体の動きがなぜあのように 大きくて、何か不気味に見えるのだろうか。」


⑥今日のタイトル『付ける』に、さらに副題をつけるとしたら、どのような言葉が浮かびますか?

「並べる」
「つたわる」
「連ねて」
「つけると転じる」
「人の中に隠れた動き」
「出てくる、体の欲する動き」


 


2026年7月11日土曜日

【回り稽古報告②】花園回の稽古日誌より

 

第一回 『むすんでひらいて かくれんぼ』6月21日(日)花園稽古場

担当講師:山中一弘


「回り稽古」受講生の皆さまに書いていただいている稽古日誌。今回は、第一回の稽古会を振り返っていただいた受講生の回答を、一部ご紹介します。



④今日の稽古場の印象を教えてください

「第一印象は ワ~、隠れ家みたい~。」

「とても優しい稽古場でした」

「明るい雰囲気、 窓の外に仁和寺の山門と双ヶ丘の緑、京都 古都を感じる。外観はビルという直立的な現代 内面は 畳・色紙・花・本・きれいな玉などと 違う場、佇まい」

「ビル四階の一室が かくれんぼをする野原のように変わり、稽古終わり、誰もいなくなった『空間』があらわれて、畳の上に差した日の光のすじが印象的でした.」

「準備段階の散然とした印象から、少しずつ整い、参加者が一人、一人と集まる毎に、場が変わっていった。稽古を重ねるに従い、場がさらに整った.」

「初めて組んだり、場所に慣れていない中、和やかにおけいこが出来た. それぞれの受け取りは違っても皆満足していた」



⑤晴風学舎の活動内容を知らない第三者に、「今日は何をしてきたの?」と問われたら何と説明しますか?

「隠れ家に 雲隠れして 遊んできたよ~.」

「身体をみる稽古 をしてきた」

「からだの内なる声にしたがった かくれんぼ」

「かくれんぼ なんだけどね。小さい時したのとは ちょっと違ってね 自分や他人の内面を見て 隠れるの」

「自分の体や心を 自分のかんかくでかくす おけいこ」

「既成概念を打破するための非日常体験」




⑥今日のタイトル『むすんでひらいて かくれんぼ』に、さらに副題をつけるとしたら、どのような言葉が浮かびますか?

「あそぶ」

「かくす と かくれる」

「自分自身にかくれる」

「はい、わかりました」

「はい。 わかりました」

「定義された用語の隠れた 広がりのある世界」









2026年7月3日金曜日

【回り稽古報告①】稽古日誌より


6月21日(日)から、『第一回 晴風回り稽古』が始まっています。

初回が花園稽古場、28日(日)に等持院稽古場で二回目の稽古会を終えたところです。

受講生の皆さんには毎回、「稽古日誌」を通して振り返りを行なっていただいています。


さっそく、初回の花園稽古会の振り返り日誌が集まりました。

この場で随時、皆さんの中から出てきた言葉を拾ってご紹介していきたいと思います。

初回の振り返りの前にまずは、「晴風回り稽古」に臨むにあたって、いくつかのご質問に答えていただきました。

【 『回り稽古』のはじめに 】

②今回の『回り稽古』は、普段の稽古会と何が違うと想像しますか?

「前と後の稽古の場がつながったりしていくのが違うのかなと思います」

「同じメンバーが色々な稽古場で出会う事でいつもと違う経験が出来ると思っています」

「順哉先生以外はじめてお目にかかる先生方ばかりです」

「初めてお会いする先生方に続けて短い期間にお会いすることで何かしら共通する物、又は相違点などを見、この組織全体を見通せるかも?」

「京都研修会館で参加したことのある公開講話に近い、講師との距離が遠くなる想像します」

「同じメンバーで5人の先生を周るので、自分の感覚だけでなくメンバーの感覚も分かってくると思う」

「既存のできあがった稽古場でいつものメンバーで行なわれる稽古と、つくりあげていく稽古の違い」




③現段階で、「晴風学舎とは、どんなことをしているところ」だという印象をお持ちですか?

「物理ではない身体の感覚を共有したり稽古したりしている所」

「身体感覚のおけいこ。精神と身体の集注の違い」

「躰に集注するお稽古場という印象」

「古来から身体に受けつがれている記憶(文化)を呼び起こしながら(稽古)、身体集注によって身体を呼び起こす」

「身体の理の追究」

「『気』を動かす」

「創業家と経営陣の分裂を越えて、いわゆる『野口整体』に新しい風を吹き込むとともに原点に帰る活動をしてる印象があります」




④普段の稽古を通じて、あなたがご自身の課題やテーマだと感じていることは何ですか?

「頭で何かをしようとしがちなのでそこをどう解決するかがテーマ」

「実生活に稽古をどう活用したら良いのかよくわからない事」

「疼痛発作をうまくかわし、こわばりとうまく付き合い、また走れるようになって鴨川の飛び石を楽に渡れるようになることが目標です」

「動法に基づいた体さばき」

「集注に入いる、待っているのでなくがんばって集注しようとしている自分をなんとか変えたい」

「深い集注に入りながらも先生の伝えられる手順がちゃんと記憶して再現できるようにしたい」

「笛を吹く際に他人の目や耳を気にすることなくいかに自分の躰に集注するかが課題です」




⑤現段階で、不安なことや、楽しみにしていることは何ですか?

「新しい自分を発見出来たら良いなぁと思っています」

「どのような経験になるのか楽しみと少しの不安があります」

「気持ちや躰にどのような変化が起きるか楽しみです」

「自分の体の変化が楽しみ 集注に変化があり、それを感じとれるか」

「足 膝 集注 体調 心 気 機 明るく愉しく」

「経済的な不安はあるが、走れるようになって、収入を得られるようになるのが楽しみです」

「回を重ねる毎に、参加者がどう変わっていくか? 稽古場毎の特有の場により、集注の深さがどう変わっていくか?」




受講生のみなさんから提出いただいた個々の日誌を読ませていただきながら、「あぁ、こんなことを考えて稽古に臨まれていたのか」と、私自身が多くの気づきを得られる機会を与えていただきました。

回り稽古全五回を終了した後の最後のページで、今回の質問と酷似した問いかけがあります。

今回の記事の一番最後にご紹介しますが、『今回参加を決めたのはなぜだと思いますか?』という質問―。その答えが、各稽古場を巡っていくうちに自然と変わっていく、心の奥底にあったものに気づく、出会う、ということがあればいいなと思っています。

   ◆

日常の些細なシーンでもありますよね。何となく外食で選んだメニューが、「何となく」で決めたつもりだったけれど、食べているうちに、過去のいつかの思い出と繋がって、「ああそうそう、そういえばこれは学生の頃に…」と、かくれていた本当の理由があとから出てくる、みたいな。

「そうか、この気持ちを味わいたかったからきっと私は、今日、これを食べようと決めたんだなぁ」と。

集注が一つ、身体の深いところまで届いた結果として出てきたものではないかと、私は考えています。

   ◆

これから稽古を続けていく中で出てくるものは、そんなキレイなものばかりじゃないかもしれない。

見たくなかった自分の情けなさだったり、信頼していた先生の残念な面だったり、稽古仲間の弱さだったり、忘れていた過去の様々な記憶だったり―。




稽古の目的を、「特定の技術の修得」ではなく、「『道』を求めて往くこと」として捉えるなら、良い経験も悪い経験も、良い人も悪い人もなく、すべて道中の、必然の出会い、必然の出来事になるのかもしれません。


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ここにして 家もやいずこ 白雲の たなびく山を 越えてきにけり

私は最近、万葉集の中から、この歌に目をとめた。この歌を、いつ、何処で、誰が詠んだか、そんなことはどうでもいい。私は私なりの空想を、今、ひとりで楽しんでいる。

この歌の「越えてきにけり」という感懐は、最初の「ここにして」で生きていると思う。しかし、この人の「ここ」は、この人だけの「ここ」であって、他からは窺い知れない。だから惹かれるのかもしれない。

考えると、人は誰もその人だけの「ここ」がある。というより、その人だけの「ここ」を感じる力をもっていて、いつも「ここ」を求めて暮らしているような気がする。だから、居心地がよいとか悪いとか、処を得るとか得ないとか、適材適所とかいう言葉があるのだろう。

何故、人はそれぞれ、その人だけの「ここ」を求めてやまないのだろうか。

それは誰も、その人だけの「ここ」を見つけたときが、一番その人の生の輝きや、安らぎや、また能力の発揚に、直接つながっているからであろう。
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野口昭子 著「ここ」『見えない糸』(全生社)より


それぞれが「裡(うち)」に求めている「ここ」。

そこにいつか向かうために、個々が稽古に参加しているとして―。道中の「道案内役」、それが、私の役割ではないかとふと、思いました。

それは今回の晴風回り稽古の企画者、案内人としてだけではなく、普段の、晴風学舎・技術研究員としてもそうです。




同時にまた私も、旅人です。「ここ」を求めて、彷徨える道中の真っ只中です。

受講生のみなさんや、花園稽古場を訪れるみなさまに道案内していただきながら、お互いに古地図を広げて、正しいのか判らないコンパスの針を頼りに、道を捜し求めている。

それが実際、稽古し続けていくということなんだろうなと、改めて思いました。




①今回参加を決めたのは、なぜだと思いますか? きっかけや、決め手になった出来事、過去の経験などを教えてください

「いろんな先生の感覚が知りたい 先生が変わると皆がどうかわるか、と思った テンポ感が変わると 人はどう変わるか知りたい」

「昨年の十月から順哉先生の講座を五~六回受講しただけの初心者なので当初はためらったのですが、山中先生のブログで晴哉先生の明語『裡の要求によりて為せ』を拝読し、『はい、わかりました』と参加を決めました。」

「私の師、角南さん以外の方の指導や稽古場の雰囲気を体験してみるよい機会だと思ったからです、初めてです」

「山中さんが回り稽古をはじめられるということで、お声がけいただき日曜の日程が空いていたので参加しようと思いました。まずは行動しないと経験ができないので、経験したいと思いました」

「山中さんのブログを見ておもしろそうだったので参加を決めました」

「晴風学舎って? 足の痛い私で大丈夫? という思いを持っている私自身への答えを捜して参加しました」

「いろいろな稽古場の集注のありかたをはだで感じたいから 同一のメンバーで回を重ねる毎に集注のあり方がどう変わっていくのか? 行ったことのない稽古場、稽古に参加してみたい」

 



2026年6月22日月曜日

【50年前から届けられた、この風】22日(月)


東京へ向かう新幹線の中で、昨日から始まった『晴風回り稽古』の受講生の皆さまへ、一通のメールをお送りしました。

「なぜ昨日、このタイミングを、回り稽古初日としたのか?」


毎月22日は、晴風学舎の前身組織があった整体協会にて、整体指導者向けの勉強会でした。この10年ほどは、現在晴風学舎の代表理事を務める野口裕之先生がご指導されていました。

私は当時、指導者ではありませんでしたが、あるタイミングから夜間特訓のみ参加が許され、ベテラン指導者の先生方に交じって稽古していました。


本日は、1976年6月22日に野口晴哉先生がお亡くなりになられてから50年です。

いつか、50年前のこの日のことを、古い指導者の先生から教わったことがあります。


朝、晴哉先生がお亡くなりになられたことは、一部の高弟にだけ伝えられていたそうです。そして、普段通りの講習会が、二子玉川の本部道場で行われました。

高弟の先生方も、どこかそわそわしながら、「これからどうしたらよいのか」「どのように会員の皆さまにお伝えしたらよいのか」と、個々に悩まれながら、講習を進められていたそうです。


結局、講習会の最後に、晴哉先生がお亡くなりになられた事実のみを会員の皆さまにお伝えして、会は終えられました。

その夜、指導者たちが集まって「私たちはこれからどうしたらよいのか」を話し合われました。明確な答えは出ませんでしたが、次のことだけ決まったそうです。


「どうしたらよいかわからないけれど、今夜こうしてみんなで集まったように、これから毎月22日に集まって、晴哉先生が我々に何を伝えようとしていたのか、先生から教わったことを一つ一つ思い出しながら、勉強し続けていこう」

と。それが、毎月22日の整体指導者の勉強会となり、今日まで続けられてきました。


50年前の今日から、途切れることなく、様々な人々を経由して吹き抜けてきた晴哉先生の風の中で、私は育てられ、指導者(技術研究員)にさせていただくことができました。

私が一番最初に出会った先生は、晴哉先生がご逝去されたのちに整体協会を離れ、独自の道を歩まれていました。

私はその始まりから、都度目の前に現れたご縁の糸をたぐるようにして、いろんな団体を渡り歩き、数十人の先生方から教えを授かり、紆余曲折ありながら、晴風学舎へと行き着きました。


今、私のもとへと届けられてきた晴風の、複雑かつ多様な経路に想いを馳せてみます。私が出会ってきたどの先生方も、「そこ」に至るまでにきっと、紆余曲折があっただろうと思われます。

そうして脈々と繋がれてきた襷(たすき)が、今、自分の手元にある。

これをどうしたらよいのかわからないけれど、今、自分ができる稽古をしていくしかない。


昨日は夏至でした。陽が極まって陰に転ずる日です。陽は外へ向かう気、陰は中に入ってくる気だと言われます。

個人の事情も―、エゴも―、執着も―、いったん全部手放して、新しいものが入ってくる。

眩しい光に照らされて、影一つ残らずあらわになったものが、自然と、また隠れていく方へ向かっていく―。そんな日です。


そんな思いもあって、昨日、このタイミングを、回り稽古の初日としました。

私の回のタイトルは、「むすんでひらいて かくれんぼ」。

むすんで、ひらいて、手を打って―。

そのとき生じてくる身体感覚、その響き合いを、皆さんで味わい、探究する稽古をおこないました。


花園にみんなで集まって、解散して―。次に等持院や御室でまた結ばれる(集合する)前にはきっと、「手を打って」(何かが転ずる)があるかもしれませんが、無事にまたむすんで、ひらいて、転じることを迎え入れて、皆さんと京都市内を稽古しながら巡っていきたいと思います。

   ◆

と、いうような内容のメールを、お送りしました。昨日は実習に時間を割きたかったので、文章で伝えられることは全部あと回しに、ということで。

そして本日は、千葉県船橋市での稽古会―。

昨日の京都で新しく結ばれ―、解き放ち―。9年間続けてきた千葉の稽古会でまた結び―、そして解き放つ―。

手を打って―、また新しい何かに転じていく―。
ただその繰り返し。稽古の日々です。
 
 
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太古の始めから風は吹いていた
つづいて今日に至る迄
風は吹いている

今日の風も
太古から吹いていた風だ
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野口晴哉 著『大絃小絃』(全生社)より