2026年5月30日土曜日

【ちょっと何言ってるか分からない『身の学』とは?】(階段昇降動法) 30日(土)

本日は、千葉の稽古会に出られている方が、親戚の皆さんと7名でいらっしゃいました。

暑い中、ご近所のお寺で法要を済まされてお越しくださいました。お歳はおそらく40代から80代と幅広いご年齢。まず最初に立ちはだかるのが、4階までの急な階段。エレベーターはありません。

みなさんハンカチで額の汗をぬぐっておられます。

「え…?」
「この階段を…、のぼるのか…?」

との心の声が、聞こえ伝わってくるような気がします。そんな7名が集合したビルの入り口から、稽古を始めてみました。
これは私が、毎日この階段の昇降で行なっている稽古です。

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①ひとまず階段の一段目一歩足を乗せる
②そのときに、どこに負荷が掛っているかを感覚する
→多くの人が、踏み出した側のヒザ。それから太ももに負荷が掛っています
③その時、胴体にはどんな感覚が表れているかを捉える。
→身体の前側と後ろ側ではどちらにより集注感が集まっているか?
→多くの人が、胸やお腹など前側に感覚が集まっていて、背中や腰の感覚は希薄になっています
④現状の身体感覚を体感できたら、踏み出した足を後ろに下げて、一歩、二歩と後ずさりする
⑤一歩、二歩と下がることで、希薄になっていた背中や腰に感覚が生じてくるのを感じる
⑥生じてきた背中や腰の感覚を捉えて、その集注を維持したまま階段を昇っていく
⑦最初の時より膝や太ももの負荷が減って、楽に昇っていけることを体感する
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(階段昇降動法)
 
 
私は特に、階段を降りる時にこれを行なっています。日常的に下駄を履いているのですが、特に高さのある下駄を履いていると、急な階段を降りるのがとても怖いのです。

しかし降りる前に一歩下がり、腰の感覚を出してから降り始めると、スタスタ降りても怖くないのです。

きっとハイヒールを履いている方などは、この稽古が応用できると思います。ぜひ駅の階段などで試していただいて、ご感想いただけたらと思います。

道場の中では、「歩く稽古」を行ないました。「ヒザが悪い」という方や、「足の指がおかしい」という方がいらっしゃいました。

ヒザが痛い時、私たちはこんな風に思ってしまいがちです。

「このヒザさえ何とかなれば」
「このヒザが言うことを聞いてくれたら」
「このヒザがバカになっちゃって」

けれど、本当にヒザさえ良くなれば、まともに歩けるようになるのでしょうか?

   ◆

私たち(晴風学舎)は、稽古を通じて、身体の新しい捉え方を探究しています。晴風学舎のウェブサイトを開くと、トップページには次のように書かれています。

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一般社団法人晴風学舎は、「身の学」を基軸とし、人間の生を身体を通して探究することを目的とした体育団体です。

感覚と運動の関係を重視し、身体を単なる生理的存在としてではなく、思考や文化を生み出す根源的な場として捉え直すことで、新たな「生の知」の創出を目指します。
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ちょっと何言ってるか分からないですよね(笑)

私なりに翻訳してみます。

まず「身の学」とは何か?
私たちの身体を、「身」と「体」に分けて捉えてみます。

冒頭で解説しました「階段昇降動法」を例に挙げてみていきましょう。

   ◆

まず最初に階段を昇ろうとしました。その時の―

②そのときに、どこに負荷が掛っているかを感覚する
→多くの人が、踏み出した側のヒザ。それから太ももに負荷が掛っています

この、ヒザや太ももの負荷感が、「体」の感覚です。骨や筋肉といった、構造的な身体です。

   ◆

対して「身」とは、

⑤一歩、二歩と下がることで、希薄になっていた背中や腰に感覚が生じてくるのを感じる

ここです。物理的なものではなく、運動によって生じてくる身体です。


「身体を単なる生理的存在としてではなく、思考や文化を生み出す根源的な場として捉え直す」とはどういうことでしょうか?

ヒザや太ももに負荷を掛けながら階段を昇っていく姿を想像してみると、「よっこらしょ」と言ってヒザに手を添えて昇る後ろ姿が浮かんできます。

その姿は、足腰が弱っている人のステレオタイプのイメージです。「ヒザ痛いからしょうがないよね」というその身体の姿は、「生理的存在の身体」です。

   ◆

そこに本来のその人らしさは垣間見えず、「足腰弱っています」というヴェールに覆い隠されてしまっています。そこに、

⑥生じてきた背中や腰の感覚を捉えて、その集注を維持したまま階段を昇っていく

という手順を入れると、「足腰弱ってます」のヴェールに、ほころびが生じてきて、その人らしさみたいなものが表れてきます。

   ◆

本日の7名も、七人七色の昇り方が出てきました。

ある人は軽快にスキップするかのように―。
ある人は着実に一歩ずつ踏みしめて―。
ある人は独特のリズムで―。
ある人は壁に触れた手に導かれながら―。
 
   ◆ 

晴風学舎のウェブサイトには、
「身体は場である」 「思考や文化を生み出す根源的な場である」

と、書かれているわけですが、「よっこらしょ」の後ろ姿から抜け出して、「軽快にスキップするかのように」昇り始めた後ろ姿を想像してみると、「文化を生み出す」に少し近づいてきたような気がします。

   ◆

先ほど階段を昇ったある人の「着実に一歩ずつ踏みしめて」の後ろ姿には、その人の深い「思考」や人生哲学が表れているような気がします。

「感覚から生じてきた運動性(二歩下がって出てきた腰で昇ること)によって、身体が、その人らしさを表現する場になった」と言えば、「身体は思考や文化を生み出す場である」という言葉がほんの少し、噛み砕かれてきたでしょうか。

   ◆

最後に、野口晴哉先生の言葉をご紹介して終わります。


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形の美しさを見ているより、その動く美しさを感じるようになったことは進歩だ。裡(うち)にある美しさを感じることができるようになることは、更に進歩したのだ。

こうして美しさがだんだん開拓されて、この世の中が真に美しかったことに気づくようになるまで、人間の心を拓かねばならぬ。

それゆえ、人間はまだまだ開拓の余地がある、進歩の余地もある。
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野口晴哉 著『風声明語2』(全生社)より



蛇足ですが、ちょっと何言ってるか分からない晴風学舎の説明文、

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一般社団法人晴風学舎は、「身の学」を基軸とし、人間の生を身体を通して探究することを目的とした体育団体です。

感覚と運動の関係を重視し、身体を単なる生理的存在としてではなく、思考や文化を生み出す根源的な場として捉え直すことで、新たな「生の知」の創出を目指します。
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こちらを、階段昇降の稽古に置き換えて、私なりに翻訳し、まとめとします。
 

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私たちは、野口晴哉の思想を次代へ紡ごうと試行錯誤する人間の集まりです。

「筋肉やふしぶしの痛み」などの「肉体感覚」ではなく、「肚(はら)や腰」など、「解剖学には表れてこない人間の生命的な身体感覚」をベースにして、溌剌と生きることを探究していく集団、身体を育てていこうとする団体です。
 
後ろに歩くと腰に生じてくるような感覚を大切にし、探究します。「膝軟骨の状態」や「筋肉量」で測られる身体の優劣ではなく、身体に根差した文化や生き方が、私たちの人生を豊かにするものと信じて、そこから何を生み出し育んでいくことができるか、道を開拓していきます。
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その道のために、今日も稽古を重ねていきます。
ありがとうございました。