東京へ向かう新幹線の中で、昨日から始まった『晴風回り稽古』の受講生の皆さまへ、一通のメールをお送りしました。
「なぜ昨日、このタイミングを、回り稽古初日としたのか?」
毎月22日は、晴風学舎の前身組織があった整体協会にて、整体指導者向けの勉強会でした。この10年ほどは、現在晴風学舎の代表理事を務める野口裕之先生がご指導されていました。
私は当時、指導者ではありませんでしたが、あるタイミングから夜間特訓のみ参加が許され、ベテラン指導者の先生方に交じって稽古していました。
本日は、1976年6月22日に野口晴哉先生がお亡くなりになられてから50年です。
いつか、50年前のこの日のことを、古い指導者の先生から教わったことがあります。
朝、晴哉先生がお亡くなりになられたことは、一部の高弟にだけ伝えられていたそうです。そして、普段通りの講習会が、二子玉川の本部道場で行われました。
高弟の先生方も、どこかそわそわしながら、「これからどうしたらよいのか」「どのように会員の皆さまにお伝えしたらよいのか」と、個々に悩まれながら、講習を進められていたそうです。
結局、講習会の最後に、晴哉先生がお亡くなりになられた事実のみを会員の皆さまにお伝えして、会は終えられました。
その夜、指導者たちが集まって「私たちはこれからどうしたらよいのか」を話し合われました。明確な答えは出ませんでしたが、次のことだけ決まったそうです。
「どうしたらいいかわからないけれど、今夜、こうしてみんなで集まって話したように、毎月22日に集まって、晴哉先生が我々に何を伝えようとしていたのか、先生から教わったことを一つ一つ思い出しながら、勉強し続けていこう」
と。それが、毎月22日の整体指導者の勉強会となり、今日まで続けられてきました。
50年前の今日から、途切れることなく、様々な人々を経由して吹き抜けてきた晴哉先生の風の中で、私は育てられ、指導者(技術研究員)にさせていただくことができました。
私が一番最初に出会った先生は、晴哉先生がご逝去されたのちに整体協会を離れ、独自の道を歩まれていました。
私はその始まりから、都度目の前に現れたご縁の糸をたぐるようにして、いろんな団体を渡り歩き、数十人の先生方から教えを授かり、紆余曲折ありながら、晴風学舎へと行き着きました。
今、私のもとへと届けられてきた晴風の、複雑かつ多様な経路に想いを馳せてみます。私が出会ってきたどの先生方も、「そこ」に至るまでにきっと、紆余曲折があっただろうと思われます。
そうして脈々と繋がれてきた襷(たすき)が、今、自分の手元にある。
これをどうしたらいいのかわからないけれど、今、自分ができる稽古をしていくしかない。
昨日は夏至でした。陽が極まって陰に転ずる日です。陽は外へ向かう気、陰は中に入ってくる気だと言われます。
個人の事情も―、エゴも―、執着も―、いったん全部手放して、新しいものが入ってくる。
眩しい光に照らされて、影一つ残らずあらわになったものが、自然と、また隠れていく方へ向かっていく―。そんな日です。
そんな思いもあって、昨日、このタイミングを、回り稽古の初日としました。
私の回のタイトルは、「むすんでひらいて かくれんぼ」。
むすんで、ひらいて、手を打って―。
そのとき生じてくる身体感覚、その響き合いを、皆さんで味わい、探究する稽古をおこないました。
花園にみんなで集まって、解散して―。次に等持院や御室でまた結ばれる(集合する)前にはきっと、「手を打って」(何かが転ずる)があるかもしれませんが、無事にまたむすんで、ひらいて、転じることを迎え入れて、皆さんと京都市内を稽古しながら巡っていきたいと思います。
◆
と、いうような内容のメールを、お送りしたのでした。昨日は実習に時間を割きたかったので、文章で伝えられることは全部あと回しにしたのです。
そして本日は、千葉県船橋市での稽古会―。
昨日の京都で新しく結ばれ―、解き放ち―。9年間続けてきた千葉の稽古会でまた結び―、そして解き放つ―。
手を打って―、また新しい何かに転じていく―。
ただその繰り返し。稽古の日々です。
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太古の始めから風は吹いていた
つづいて今日に至る迄
風は吹いている
今日の風も
太古から吹いていた風だ
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野口晴哉 著『大絃小絃』(全生社)より




















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