ひもで縛った段ボールを抱え、空き缶・ペットボトルをまとめた袋をぶらさげて、トコトコと、交差点にある集積所まで。
先ほど、私が書いてきた前回までのブログを読み返してみました。
するとどこか、「右の写真のほうが良くて、左の写真は平凡だ」みたいな意図が透けて読み取れる感じがしてきます。
「右が良いよね」「良いでしょ?」って強要されるような―。文章に、操作的な意図が出ちゃってる、だだもれちゃってる感じです。
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この世に喜びあり、悲しさあり、怒りあり、楽しさあるは、面白きことなり。
今泣いて、すぐ喜ぶことあり。苦しめることが、そのまま楽しみとなることあり。遠足途中の辛きことなど、この例なり。
苦しむに苦しまざれば、心いつまでも和やかにならず。泣くだけ泣かねば笑うことできず。
これらのめぐりめぐるうちに、人世あり。
怒り来らば怒り。悲しみあらば悲しみ。そのめぐるもの、めぐるが如くめぐらして、息乱すこと無きは、全生の人なり。
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私が20代の頃、心理学の先生から教わった言葉がふっと思い出されました。
「感情は、否定も肯定もせず、ただそのまま味わいきることができたときに初めて、解放される」
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京都市の資源ごみの出し方は、ビンも缶もペットボトルも、ひとまとめに袋に入れて出すんです。
私がこれまで住んできた地域ではどこも、3種類に分けて出していたので、何となく、罪悪感なのか抵抗感なのか―、3月に引っ越して以来、これまでは別々の袋で出していました。
が、今朝は初めて、ひとまとめで出すことができました。
良いも悪いもなく、どっちもそれぞれ。ゴミ出しも―、2枚の写真も―、怒るも泣くも笑うことも―。むきだしの感情も、内に秘めたる奥ゆかしさも―。
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「めぐりめぐるうちに、人世あり」
怒りにも行けるし、悲しみにも行けるその往復が、稽古であるとも言えるし、それが丸ごと、人生の豊かさだとも言えますよね。
ゴミ集積所への数十メートルの往復の中で、そんなことを感じた、資源ごみの朝。
稽古の日々です。










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