2026年5月12日火曜日

【否定も肯定もせず、ただ味わいきれたときに解放される】12日(火)

私の地区は、資源ごみの日でした。

ひもで縛った段ボールを抱え、空き缶・ペットボトルをまとめた袋をぶらさげて、トコトコと、交差点にある集積所まで。
午前6時―。自宅から、ほんの数十メートルの往復。

今日はここで、撮影動法稽古です。
そして2枚の写真の比較―。左と右、やはり何か違います。感じ方は様々ですが―。

先ほど、私が書いてきた前回までのブログを読み返してみました。

するとどこか、「右の写真のほうが良くて、左の写真は平凡だ」みたいな意図が透けて読み取れる感じがしてきます。

「右が良いよね」「良いでしょ?」って強要されるような―。文章に、操作的な意図が出ちゃってる、だだもれちゃってる感じです。
でもね、左の写真もやっぱり好きなんですよ。改めて鑑賞すると。

たとえむき出しの、「私の美学を見て!」というような承認欲求の現われだったとしても、それが私なんですよね。
今朝は、こんな言葉に目が留まりました。


******************************
この世に喜びあり、悲しさあり、怒りあり、楽しさあるは、面白きことなり。

今泣いて、すぐ喜ぶことあり。苦しめることが、そのまま楽しみとなることあり。遠足途中の辛きことなど、この例なり。

苦しむに苦しまざれば、心いつまでも和やかにならず。泣くだけ泣かねば笑うことできず。

これらのめぐりめぐるうちに、人世あり。

怒り来らば怒り。悲しみあらば悲しみ。そのめぐるもの、めぐるが如くめぐらして、息乱すこと無きは、全生の人なり。
******************************
野口晴哉 著『全生道(偶感集)』(全生社)より


私が20代の頃、心理学の先生から教わった言葉がふっと思い出されました。

「感情は、否定も肯定もせず、ただそのまま味わいきることができたときに初めて、解放される」

   ◆

京都市の資源ごみの出し方は、ビンも缶もペットボトルも、ひとまとめに袋に入れて出すんです。

私がこれまで住んできた地域ではどこも、3種類に分けて出していたので、何となく、罪悪感なのか抵抗感なのか―、3月に引っ越して以来、これまでは別々の袋で出していました。

が、今朝は初めて、ひとまとめで出すことができました。

良いも悪いもなく、どっちもそれぞれ。ゴミ出しも―、2枚の写真も―、怒るも泣くも笑うことも―。むきだしの感情も、内に秘めたる奥ゆかしさも―。

   ◆

「めぐりめぐるうちに、人世あり」

怒りにも行けるし、悲しみにも行けるその往復が、稽古であるとも言えるし、それが丸ごと、人生の豊かさだとも言えますよね。

ゴミ集積所への数十メートルの往復の中で、そんなことを感じた、資源ごみの朝。

稽古の日々です。

0 件のコメント:

コメントを投稿