2026年5月10日日曜日

【何かのためじゃない。誰かのためじゃない。ただ、稽古する】(園部出稽古)10日(日)

朝、花園稽古場の窓越しに、目が合ったツバメのヒナです。


南丹市、園部駅前の春日神社にて。

御手水舎(おちょうずや/おてみずや)。透き通る水の波紋が心にゆらゆらと、やわらかく届いてくるようでした。

階段を昇りきると、狛犬のお出迎え。木漏れ日がゆらめく小道が奥へ続いていると、吸い込まれていくような、何だか呼ばれているような気持ちになります。

境内の片隅にて―。普段は見下ろすような足元の草木を、下側から覗き込んで見上げるのが好きです。

「井の中の蛙目線」みたいな。

実際に井戸の中に落ちてみないことには、井の中の蛙が見た景色も、想像でしかないですよね。そこから見える景色が、本当に了見の狭い世界かどうかなんて、体感しないことにはわからないだろうなと、そんなことを思いました。

駅前の観光協会で自転車を借りて漕ぎ出しました。五月の爽やかな風が、水色の自転車にとけ込んでいくように感じます。ひとつ山を越えて、とある田んぼへ到着。

田植えを終えた傍らの草の上に、草履を脱いで上がった稽古仲間たちが、舞の奉納を行ないました。田畑を鎮めるような、太鼓と篠笛の音が、心地よく沁み入りました。

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稽古仲間のTさんとIさん。昨日偶然にも、西陣稽古場にて筆動法の稽古でご一緒しました。それぞれの舞の中に、昨日の稽古が活きているなあと感じました。

よく野球のピッチャーの比喩で、「糸を引くようなストレート」と表現されますが、お二人の動きはまるで、青空に糸を引くような、扇子の円運動に見えました。

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舞の奉納のあと、近くのおうちへみんなで移動。子どもたちから年配の方まで、みんな親戚かのように、持ち寄ったおかずで遅めのおひるごはんをいただきました。

団らん中、田んぼで舞ったTさんが語られました。

「こういう舞を、お祭りとか、ステージとか、そういう場でやる人たちが今は一般的だったりするから、よくこんな風に言われるんですよ。

なんで発表会みたいのをやらないんですかって。

でもね、見せるっていうものはそれとしていいんだけど、私らがやってるのは、自分の身体と向き合っていることやから。

そこにショーとして、”人に見せる”っていう視点が入ってきちゃうと、やっぱりなんか、別物になっちゃうんよね。

私らは、自分らのためにただ舞っているだけやから」
 

夕方、園部駅への帰り道。一緒に遊んだ子どもたちのお父さんが教えてくださった抜け道を、自転車を押しながら登りました。幼少期の好奇心がくすぐられ、ほんの短い数十メートルの中で、ワクワクするような冒険譚が立ち上がってきました。

「時間は秒針によって刻まれるものではなく、集注によって一瞬にも永遠にもなる」と、そんなことを思いました。

京都市花園へ帰ってきてから、近所のスーパーまでの道程。敢えて初めて通る小道へ突入していきました。

南丹市で獲得した冒険心の集注が、どこかに残っています。

小川沿いの桜の木。樹の幹からいきなり葉っぱが生えているのが面白いなと感じたのか、足が自然と止まりました。

右の写真は何だか、折り鶴みたいに見えてきます。空へと今にも羽ばたきそうです。
 
帰宅。日が落ちた西の空に、宵の明星(金星)と木星が浮かんでいました。

ブレブレになることは承知の上で、いつもの型、手順通りに、撮影動法実行です。

撮れた写真が面白いかどうかが問題ではなく、稽古自体が面白いからやる。そしてこれを深く考えずに「ポン」と投稿―。

これをご覧になる皆さんに、面白いと思われようが、つまらないと思われようが、何にも伝わらないとしても、とりあえず投稿してみる。

ほめられるからやるのではなく、うまくいきそうだからやるのではなく、上手になるためにやるのでもなく、ただ、稽古をやる。淡々とやる。やることで、何かが動く、新しい扉がひらく。

そんな、稽古の日々です。

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