「井の中の蛙目線」みたいな。
実際に井戸の中に落ちてみないことには、井の中の蛙が見た景色も、想像でしかないですよね。そこから見える景色が、本当に了見の狭い世界かどうかなんて、体感しないことにはわからないだろうなと、そんなことを思いました。
田植えを終えた傍らの草の上に、草履を脱いで上がった稽古仲間たちが、舞の奉納を行ないました。田畑を鎮めるような、太鼓と篠笛の音が、心地よく沁み入りました。
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稽古仲間のTさんとIさん。昨日偶然にも、西陣稽古場にて筆動法の稽古でご一緒しました。それぞれの舞の中に、昨日の稽古が活きているなあと感じました。
よく野球のピッチャーの比喩で、「糸を引くようなストレート」と表現されますが、お二人の動きはまるで、青空に糸を引くような、扇子の円運動に見えました。
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舞の奉納のあと、近くのおうちへみんなで移動。子どもたちから年配の方まで、みんな親戚かのように、持ち寄ったおかずで遅めのおひるごはんをいただきました。
団らん中、田んぼで舞ったTさんが語られました。
「こういう舞を、お祭りとか、ステージとか、そういう場でやる人たちが今は一般的だったりするから、よくこんな風に言われるんですよ。
なんで発表会みたいのをやらないんですかって。
でもね、見せるっていうものはそれとしていいんだけど、私らがやってるのは、自分の身体と向き合っていることやから。
そこにショーとして、”人に見せる”っていう視点が入ってきちゃうと、やっぱりなんか、別物になっちゃうんよね。
私らは、自分らのためにただ舞っているだけやから」
夕方、園部駅への帰り道。一緒に遊んだ子どもたちのお父さんが教えてくださった抜け道を、自転車を押しながら登りました。幼少期の好奇心がくすぐられ、ほんの短い数十メートルの中で、ワクワクするような冒険譚が立ち上がってきました。
「時間は秒針によって刻まれるものではなく、集注によって一瞬にも永遠にもなる」と、そんなことを思いました。
右の写真は何だか、折り鶴みたいに見えてきます。空へと今にも羽ばたきそうです。
ブレブレになることは承知の上で、いつもの型、手順通りに、撮影動法実行です。
撮れた写真が面白いかどうかが問題ではなく、稽古自体が面白いからやる。そしてこれを深く考えずに「ポン」と投稿―。
これをご覧になる皆さんに、面白いと思われようが、つまらないと思われようが、何にも伝わらないとしても、とりあえず投稿してみる。
ほめられるからやるのではなく、うまくいきそうだからやるのではなく、上手になるためにやるのでもなく、ただ、稽古をやる。淡々とやる。やることで、何かが動く、新しい扉がひらく。
そんな、稽古の日々です。






















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