2026年5月2日土曜日

雨過天青雲破処(うかてんせい くもやぶれるところ)

雨過天青雲破処、「うかてんせい くもやぶれるところ」と読むそうですね。人生で初めて使いました。

雨が過ぎ去り、天が青く晴れ渡り、雲が裂けた隙間から青空が見えてくる空間を表現する言葉だそうです。

そこから転じて、「雨過天青」、または「雨過天晴」で「困難や災難が過ぎ去り、状況が好転した晴れやか気分」を表現する言葉でも使われるようです。

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昨日の京都は一日中、嵐に覆われていました。今朝は一転して雨過天晴、気分も晴れやかに、ルーティンの写真撮影動法を行ないました。上の写真は道場の窓辺に吊るしたサンキャッチャーです。

左の写真に表れている私の意志は、ガラス玉の美しさを撮りたかったわけですが、その意志を外した右の写真は、中央の澄み渡った青空に引き込まれていくような感じがします。青空から山の稜線に目が誘導されていくような、奥行きが感じられるようです。

左で主役だったサンキャッチャーも、青空へと集注をいざなう為の名脇役になっている気がします。

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外に出て、近所の神社へお参りしてきました。
塀の隙間からのぞいた叢(くさむら)に、雨上がりの露の玉が光り輝いていました。左の写真は、「ああ、葉っぱに雨の雫が乗っているね」というそれだけな感じ。

右の写真になると、「彼」をとりまく周辺の葉っぱや、暗がりとの関係性、その奥にうかがい見られる光の空間へも気持ちがいざなわれていく感じがします。展開やストーリーが自然と創造されてくるような、写真としては何がいいんだか説明できないけど、ちょっと楽しい感じ。ノッていける感じになっている気がします。

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サンキャッチャーも、叢(くさむら)も、左の写真は「見てよ感」とか「これ良いでしょ感」が出ちゃっているのに対して、右の写真は、美的感覚はわからないけれど、「何か楽しい」感じが伝わってくるような気がします。

ふっと、ある漫画のセリフを思い出しました。
 
 
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作った本人が好きで、楽しんで、情熱を込めて作ったものってね、それを見た人も、楽しくなっちゃうものなんですよ。

これはキレイ事じゃなくて、本当に。

逆にどんなに技術があっても、情熱のないものは、人の心に響かないんですよ。
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(山口つばさ 作『ブルーピリオド』講談社より)
 
 
「自分はもしかしたら、絵を描くことが好きかもしれない」と気づき始めた高校生が、美術の先生に言われた言葉です。

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そういえば、稽古の中でよく出てくる「集注」という言葉の意味を、先生が「墨すり」にたとえて説かれたときも、似たようなことを仰られたなあと思い出しました。

どんなお話だったか? それはまた、次の回で。 

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