昨晩は、私の出生地である、東広島市安芸津町のいとこ宅へ泊めてもらいました。
瀬戸内海を見下ろす山の中腹。いとこの家からさらに山道を登っていくと叔父の墓地があります。雨上がりの砂利に、しっとりとした落ち葉が降り積もっていました。
◆
一枚ずつ取り除いていくと、カタツムリが姿を現したので、ここ最近の手順にて、撮影動法稽古のお相手をお願いしました。
いつものように、左の画像が1回目の「私が撮りたい構図」。右の写真が2回目で「私が撮らされた瞬間」。
◆
私の感覚だと、左の写真を眺めていると、カタツムリの殻が、私の目にダイレクトに飛び込んでくるような気がします。これは比喩表現ではなく身体感覚として、特に左目に感覚が出てくる感じです。
右の写真を見ていると、骨盤が右に動いてくるような気がします。そのあと右肩が前に出てくるような身体感覚が出てくるような、そんな気がします。
これは、今の私の感覚です。正解も不正解もありません。先日、狛江の道場にて先生が次のようなお話をされました。狛江稽古場は、先生が育ったおうちでもあります。
******************************
よく、「話せばわかる」なんて言いますけど、あれは嘘です(笑)
話したぐらいでわかりっこない。育ってきた環境も違う。経験も違う。見てきた時代もズレている。
山中君、キミ今いくつだっけ? ああそう。僕と35年もズレてるのね。キミには今この部屋がどう見えているのか?なんて、僕にわかりっこないんですよ。想像もできない。
現在同士で語り合っても、ますますズレていくだけです。
でもね、お互いに過去に向かっていくと、どこかで響き合えるんです。過去のどこかで、響き合える身体が出てくる。
例えばね、過去に同じようなシチュエーションで負った傷とかだね。それは物理的なケガもそうだし、心の傷もそう。どちらにしてもそれらは身体の感覚に刻まれている。
だから身体に集注するということは、過去に集注していくことだとも言えるんだよ。お互いに過去に向かって行く中で、どこかの地点で響き合える。それを我々は「感応」と呼ぶ。
だから、現在同士の感覚でいくら話しても通じ合えないが、お互いに過去に向かっていくとき、どこかで通じ合える瞬間が訪れるんだよ。
******************************
そこからもう一度、カタツムリの写真を捉え直してみます。左の写真は、私が「こう撮りたい」と意図した写真です。私の意志が色濃く反映されており、ベクトルは基本的に一方通行。私が、カタツムリを撮る。私が、構図を決める。見る人は、私の撮りたかった写真を見せられる。
右の写真は、幾分か私の意志が薄れて、参加型になっています。撮る役だった私も参加者。カタツムリも参加者。見るあなたも参加者。見る時の私もまた参加者。意志を消していくと、「場」が立ち上がってきます。
「場」とは何か? シンプルに言えば、「みんなが参加できる空間」ということです。
だから、私が正解を示せるわけがないんです。けれど、私に生じた感覚を伝えてみる。正解を求めて回答するためじゃない。表現することでまた相互共鳴が起こり、新しい感覚の響き合いに繋がっていくから、伝える。次に生じてくる、新しい場のために。
◆
きっと同じ「カタツムリ」を見ても、そこから引き出される過去の記憶や体験は個々に異なる。「墓石」に対してもそう。「木漏れ日」もそう。「写真」もそう。
だからこそ、自分は身体のどこにまず響いたのか、そのかすかな感覚を絶対的にまず信頼するところから、まず始めたいんです。
そのときに、「腰って答えたほうが正解っぽいから」とか、「今はお腹の季節だって教わったから」とか、そういうのが全部ノイズになってきます。
まず最初に、「右に動くような感覚、だいたい骨盤辺り」として捉えたなら、そこから始めます。それが何を意味するのかはわかりませんが、その感覚をたどっていった先に、私が撮らされた写真と、響き合えるような過去にいずれ到達するときが訪れます。
その、「ある過去を捉えた瞬間」が、前に進むための原動力になることが、往々にしてあります。それはきっとその瞬間に、観が動くから。「これはこういうもの」「これはこうあるべき」という観念がふっと外れる瞬間です。
◆
そんな瞬間が、安芸津町で過ごした今日の一日の中に、たくさん訪れました。今朝のでんでんむしとの稽古会は、それを迎え入れる準備だったようにも思えます。
今日は町内の五軒のおうちを訪ねて歩き、未知なるたくさんの過去と響き合えた気がします。そしてまたその体験も、稽古として言葉にしていけたらと思います。
生まれた町をめぐり歩き、気づけば日も暮れていました。
今夜は海辺に建つ、別のいとこの家へ、急遽泊まらせてもらうことにしました。波の音を聴きながら、今日一日を振り返っています。
明日、やり残したことを済ませてから、京都に帰ります。




